吉澤の友禅
ごあいさつ
歴史・伝統は革新とともにある―。
変わらずに生き続けるには、常に自ら変わらなければならないと考えます。
吉澤家は江戸時代「宝暦年間」より、代々織物に携わってきた家柄で、以来約270年間、時代の変遷とともに匠の心を現代に連綿として伝えてきました。
きもの製造業としては、創始160余年、創業120余年の老舗メーカーです。
吉澤織物株式会社は、織物を祖業としながら技術革新で高度な友禅技法の導入に成功し、以後本格古典を追求しながら友禅と織物の両方を創作できる業界唯一無二の「染めと織りのきもの総合メーカー」として高い評価を頂いております。
吉澤織物株式会社の歴史・概要
明治30年明石縮を創業
当社の創業は明治30年明石縮を創業したのが始まりです。
しかし吉澤家は今をさかのぼること270余年前、江戸時代宝暦年間より越後の高級特産品である「越後縮」に携わった家柄で、初代吉澤伴治郎をその祖とし、以後代々織物を生業としてきました。
二代目与市により越後縮の創作が行われ家業の基礎が固められました。
寛政6年二代目与市の没後、御用商人である「松村屋」で大番頭を勤め、幕府より帯刀を許されるまでになった高橋茂平治が養子となって後を継ぎ、三代目として安政年度より製造業を始めました。
その後四代目虎吉に家業が継がれ、時代も明治へと移っていくと、苦心の末麻から絹織物へ転換をはかってきました。
五代目貞治は18歳の若さで家業を継ぎ、「明石縮」を開発し、その発展に伴って吉澤織物の基盤を確立していきました。
六代目武治により昭和25年吉澤織物株式会社が設立され初代社長となり、夏物だけでなくオールシーズン着られる紬絣を手がけました。
七代目は武治の長男、現会長の吉澤愼一で、昭和30年代中頃自ら開発した黒羽織はPTAルックとして一世を風靡しました。
「友禅」の導入と「ブランド戦略」の展開
また昭和39年の東京オリンピックを契機に日本の成長、繁栄の世相を見越し、きもの総合メーカーへの脱皮をはかるべく「友禅」の導入に挑戦し、紬絣のみならず振袖、付下げなどの華やかな商品の開発に成功していきました。
昭和50年代に入ると当社は業界でいち早く「ブランド戦略」を展開し、「吾妻徳穂」「七代目吉澤与市」をはじめ「吉田簔助」「矢萩春恵」「田中優子」などのブランドを次々に開発し、業界を代表するロングセラーブランドに育てていきました。
十日町の振興発展と織物の歴史のトップメーカーとして
現在八代目武彦が社長を務めています。平成29年から、十日町織物工業協同組合理事長として産地の振興発展にも尽力しています。
織物の産地として1500年に及ぶ長い歴史を持つ十日町のなかで、染と織の両方を一貫生産するトップメーカーとして、技術革新と商品開発そして品質管理をものづくりの基本としながら今日に至っています。
アクセス
- 本社
- 〒948-0083 新潟県十日町市本町1丁目下686番地
電話 025-752-4131(代) FAX 025-752-5765
- 昭和町工場
- 〒948-0061 新潟県十日町市昭和町1丁目73番地